平成3年11月1日無形民俗文化財として登録されました

金刀比羅神社・大鷲神社

酉の市

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の境内社である大鷲神社(おおとりじんじゃ)で毎年11月の酉の日行われている祭事で、「お酉さま」と呼ばれて横浜市民に親しまれ、横浜の年中行事として大変な賑わいを見せています。
 大鷲神社の御祭神、天乃鳥命の御名から宝を鳥船(鳳凰即ちおおとり)で十二支の酉をあてられ、酉の市は正しくは酉待、酉の待とも酉の市ともお酉様ともいって大鷲神社の例祭です。往古はもっぱら武将階級のみの祭であったようですが、この酉の市の祭事が商人や花街等の根強い開運守護神の信仰が深くなり、毎年11月の酉の日に盛んに執行されるようになりました。酉の日は12日目に一度めぐって来るので、年によっては二度、三度行われることになっています。けだしお酉様の熊手は、酉(鷲)が取るに通じ取る熊手というので、福運をかき集むる縁起から喜ばれ、当社では熊手に開運守をつけて鷲掴み(わしづかみ)と言う語言から更に大鷲づかみと言う縁起にもとづき加喜米(掻き込むの意)として一般参拝者に授与されています。毎年当日の例祭には、遠くは千葉房総半島、神奈川県湘南、小田原地方より参拝するもの多く、善男善女でいん振を極め独占的な横浜の年中行事として民衆の心の中に生きる神様であります。

11/5の一の酉の様子をアップしました。
金刀比羅神社
祭神 大物主乃命(おおものぬしのみこと)  崇徳天皇(すとくてんのう)
由緒
 
金刀比羅神社は遠く安政6年(1859年)讃岐国象頭山(四国琴平町)の金比羅大権現を歓請して金刀比羅神社を創建されました。初めは金比羅大権現と称せられ現在の横浜公園(横浜スタジアム球場の在る所)の地に港崎遊廓にありましたが、慶応2年10月20日の大火に類焼され、翌3年吉原町に御遷座し、更に明治5年に再び高島町7丁目の海側に遷座し、現在の御社号に改称せられました。翌6年3月には地方長官の認可を受け無格社として指定せられ、神社明細帳登録されることになりました。復た更に明治15年4月今の真金町に移転されました。これが現在の神域であります。本来当社は花柳会に歓請せられたものでありますから、其の移転と共にしばしば御遷座が行われたものでありましょう。大正12年の関東大震災、更には今次戦災に惜しくも社殿は炎上されましたが、社殿は昭和25年に建立。その後平成元年に新社殿として再建されたものであり現在に至る。御祭神の御神徳については、一般に言う大国主之命(おおくにぬしのみこと)の別名でありまして国土開拓はもとより航海安全、漁業、殖産、医薬百般の事物に御神威があまねき霊験あらたかであるとして厚く信仰されて居ります。
大鷲神社
祭神 天之鳥船命(あまのとりふねのみこと)
由緒
大鷲神社は明治初年高島町に金刀比羅神社が遷された頃から江戸吉原の例に倣っておとり様を歓請、同社の境内に末社として祀りこれが大鷲神社の初めであります。その頃から酉の市の行事は盛んであって、開運の守護神として崇敬厚く、今日に至って居るのであります。更に金刀比羅神社の御遷座と共に現在の神域に遷されました。もとの社殿は別宮としてありましたが、今は金刀比羅神社の相殿に祀られております。